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一日一景 台湾 歴史

【一日一景】その10 宜蘭 カンケイ祠(台湾)

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今日ご紹介するのは、タイヤル族の人々が住む宜蘭県大同郷寒渓村にある「カンケイ祠」。

日本が台湾を征服した頃、蜂起する「原住民族」の人々を、軍事力をもって服従させていった事実はまさに侵略そのものでした。その頃のことについては映画「セデック・バレ」でも描かれました。

原住民族に対して、台湾総督府は強硬策から融和策まで様々な政策で統治を行ないましたが、その一環として精神的にも原住民族を支配するために造られたのが原住民神社=「祠」でした。

もともと台湾原住民族はアニミズム(精霊信仰)をもっていたこともあり、「祠」は彼らの信じる精霊と、日本の「カミ」を融合する形で造られていったようです。

日本においては、パイワン族の村クスクス社にある「クスクス祠」=「高士神社」が、御神体を祀る唯一現役の台湾神社として有名かと思います。

さて、今回のカンケイ祠(寒渓神社)は、昭和8年に造られた神社で、天照大神、北白川宮能久親王を祭神としていました。

小学校の横に神社と書かれた看板がある

神社跡は丘の上にあり、かつては寒渓小学校の裏手の路を登っていったようですが、現在は裏手に階段が整備されています。階段の途中には草にまみれた水盤が。その後、石灯籠、石段、石碑などが見えてきますが、いずれも完全に草に埋もれていて、ポストアポカリプス感が凄いです。

ポストアポカリプスというのは終末世界のことで、私は「少女終末旅行」という作品が好きなのですが、その話は置いておいて。。。

ネット写真を見る限りでは、ここが公園として整備されている姿もあるので、定期的に草取りや清掃がされているのかもしれません。

↑この石碑の文字はあまりよく見えないのですが、「国語(日本語)を使うこと」「人殺しをしない」「動物の殺生をしない」など、原住民族の「近代化」の標語が書かれているそう。

↑これは参道側から本殿側を見た光景ですが、わずかに石段が見えているだけで、どこに何があったのかさっぱりわかりません。本殿があったのだろう場所に登ると、基礎の跡から6本の柱があった場所だけがわかりました。

 

ところで寒渓といえば、日本語とタイヤル語が混ざった「宜蘭クレオール」という独自言語が共通語として使われている村として知られています。

現在は当然ながら公用語の「北京語」が話されていて、日本語やクレオールが話されることはないでしょう。しかし、村の中央広場前には「アカネ居酒屋」なんてものもあったり、こうして神社跡も定期的に整備されていることからも、人々が日本時代を懐かしくも思っていることが伝わってきました。

寒渓村は羅東からバスが出ているようですが、車で20分くらいなのでタクシーを使うのが良いかと思います。

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