取材の計画で時間が取られ少し日があいてしまいましたが、本日の【一日一景】は花蓮県新城郷にある「新城神社」(現:新城天主堂)。
「天主堂」と書かれているとおり、ここなんと教会として使われている神社跡なんですね。
神社の入口には貫と笠木の間に「天主教会」と書かれたかつての二の鳥居と燈籠があり、新城神社の由緒が書かれた説明板もあります。左手に休憩所(手水舎跡)、右手にチャペル。
三の鳥居のその奥には狛犬に護られたマリア像が!
昭和12年 (1937年)鎮座。この新城神社が建てられた経緯は、正直言って日本による台湾統治の暗部と言っていいでしょう。
日本が軍隊をもって台湾を統治しはじめた、明治時代。日本軍による暴虐に怒ったタイヤル族が蜂起し日本兵を殺害した「新城事件」が明治29年(1896年)に発生。
さらに明治39年にも花蓮を開発する日本人による迫害と搾取に耐えかねた原住民族が一斉に蜂起した「威里事件」が発生、総督府による太魯閣原住民族の弾圧・討伐へと発展していきます。
総督府により原住民族の制圧が収束したとされる大正3年、この地に「太魯閣招魂社」が建立され、これを発展する形で昭和12年に新城神社が造営されました。今でも入ってすぐの場所に「新城事件」の慰霊碑が残っています。
戦後になって本殿はすぐ破壊されたそうです。ところが、その後にこの土地に教会を建てた神父が神社の設備をそのまま残したらしい!70年代の国民政府による破壊命令にも、鳥居を中国式にしたり、燈籠に色を塗ったりすることで、可能な限り神社時代の景観を残したそう。
その結果、現在は世にも珍しい「神社風キリスト教会」として今日も信仰を集めているということなのです。ちなみに神社の手前にはかつての一の鳥居が「新城公園」のゲートとして残っています。
この新城神社は太魯閣渓谷へ行った際に行きました。もともとは渓谷だけの予定だったのですが、チャーター車の運転手さんが寄ってくれたので取材できたという次第です。